1965年生まれの日記~離婚しようかやめとくか~

結婚して30年・・夫は発達障がいかもしれません

1月1日~正月の思い出

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明けましておめでとうございます(無感情)。

何の変哲もない、日付が変わっただけの元日となりました。

なんというか・・寂しいというよりも、やっと主婦の仕事から解放された気持ちのほうが強いです。昨年は子供が1人家にいたので、朝食から気を使った食事を用意しましたし、近所の神社にも初詣に行ったりもしたのですが・・・。

ひと昔前のように、餅を食べつつ朝からテレビを見るということもしなくなったし、飲食以外は特にすることもありません。我が家は夫を除いてテレビを見る習慣がなくなっています。毎日朝の時間帯だけ、ニュースを時計代わりに垂れ流すのみです。

これまでその飲食の部分を全部担当してきたわけですよ、30年あまり。もう、辞めさせてほしいです。もっとも、こんな考え方をする50代女性って、意外に少ないのでしょうか。自分を普通と思ってはいけませんが、その普通の概念を強要されたり、縛られたくはないですね。

夫の両親が健在だったころは、当然のように家族で帰省していました。

子供は喜んでいましたし、それだけのためにわたしも頑張りましたね。

しかし、当然のことながら、田舎の長男の嫁にとっては大変とかいう言葉じゃ足りません。朝食が終わったら昼食の支度、昼食が終わったら夕飯の買い出し、帰ってすぐ下ごしらえなどの準備。夜は親戚をはじめ、義父の仕事関係の来客も多く、酒や酒肴の心配、目を離している子供の心配、世話、本当にてんてこ舞いで、一刻も早く帰りたいとそればかりを考えていました。

もちろん、夫はなにも手伝いません。田舎の男なんて、みんなそんな認識なんでしょうね。せいぜい皿運びくらいのもんです。酒を飲んで、来客と談笑しているのが自分の仕事だと信じているようでした。夫の両親もです。

当時のわたしは、まったく出来た嫁ではなかったので、なんて不公平なんだろうといつも思っていました。

義父、義母は優しかったし、嫌な思いも特にした覚えはありません。しかし、わたしの実家は核家族で、転勤族で、わたしは都市近辺の暮らししかしたことがありませんでした。やはり、普段から一緒に暮らしていたわけでもなし、お互い我慢のしどころという面もあったと思います。義父母もなにも言いませんでしたが、今になって思えば、わたしに言いたいことの一つや二つはあったことでしょう。

帰る日は朝から荷物の準備やら、これ持っていけあれ持っていけ、とこんなに荷物が多くてはどんなにしたって運べないよ!という有様。

帰る準備というのも、一人では並大抵の苦労じゃないです。使ったお布団やらシーツやらを始末して、乾いていない前日の洗濯物、子供の持ち物、毎回時間との戦いでした。

歓迎してくれたのは本当にありがたかったと思います。でも、わたしは、もう二度と嫌です。

あの大変な結婚生活の初期を生き抜いて、今やっとこんなにも穏やかな正月休みを堪能できています。家族がばらばらで可哀そうとか、集まるような親戚友達がいなくてと思われるかもしれませんが、これがわたしにとってやはり幸せだなぁと思うのです。