1965年生まれの日記~離婚しようかやめとくか~

結婚して30年・・夫は発達障がいかもしれません

東日本大震災②当日の夜、翌日

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2011/3/11(金)の夜です。

どんなことになってるやらと、急ぎ帰宅した後の話しです。焦って急いで帰ってきましたので、途中ガソリンを入れなかったのは大失敗でした。

でも、地震が来たら水が売れるのはわかりますが、まさかガソリンが売り切れるなんて思ってもみませんでした。

単純に被害としては、東北地方の方に比べれば、ダメージは全然です。それでも後日、震災被災証明が市役所から出ました。

家の被害としては、

・姿見が倒れて割れた(破片が散乱)

・本棚から大量の本が落下(廊下が通れない)

部屋が狭くなるのが嫌で、4つもの本棚を玄関と廊下に設置してあったのです。本棚自体も倒れたものもあります。

・食器棚から大量の食器が落ちて割れた(破片が散乱)

・ガスコンロ下の棚にしまってあった調味料が転倒し、こぼれた(べとべと)

・テレビは辛うじて落ちなかった(後ろの壁にもたれかかって助かった)

・電子レンジも辛うじて落ちなかった(ガスコンロも辛うじて落ちなかった)

・こども部屋は、棚のフィギュアとか、本とか、細かいものがすべて落下

こんな感じで、すべて落下したことによる被害ばかりでした。棚の戸が開いて、落ちたものも多かったです。倒れたものは、大きい姿見の鏡と、本棚。ぜんぜん転倒防止対策をしていませんでした。

とりあえずざっと片付け、足の踏み場を作って、その日は夜を迎えました。たまたま、貰い物のスリッパがありましたので、家族全員に配りました。床が散乱して、下に何が落ちているのかわかりませんでしたので。

近くのドラッグストア、コンビニに行ったのは、そのあとです。こどもが帰宅しないのを、家で心配しながら待っていたため、出足が遅くなってしまったのです。水、パン、カップ麺、ティッシュ、などすべてありませんでした。食べられるものは何でもと思い、お菓子など買いこみました。

一晩中、そしてその後何日も、大きな揺れが繰り返し襲ってきました。服を着たまま、いつでも逃げられるように布団に入りましたが、熟睡など出来なかったです。次の日も、その次の日も。

今のコロナ感染の恐怖より、ずっとずっと怖かったです。テレビはつけっぱなし、あの不協和音の警報が繰り返し鳴ります。いつも揺れているような感覚が、その後もしばらく抜けませんでした。

電気とガスの供給は幸い止まりませんでしたが、翌日から水道が止まりました。すでに、市内は止まっていると近所の人からの情報で、いずれここらも止まるだろうと出来るだけ汲み置きです。

1Lのペットボトルの水は、幸い買い置きをしてありましたが、いざとなると4人家族でどのくらいもつのか心配になり、つい車を走らせてあちこちの店に行ってしまいました。

すると、市内のあちこちが渋滞しています。なんの渋滞?なにか売ってるのかな?と、思って見てみると、GSから伸びている渋滞の列なのです。わたしはまだこの時点でも、車にはまだ半分あるし、まぁいいだろうと通り過ぎました。それより、食料、飲料水の確保のほうが大切だ、と判断したのです。

ホームセンターで、水を買うことが出来ました。飲めるものなら何でも買っておこうという気持ちでした。皆さん、夫婦で買い物に来ています。こんなときは本当に自分が情けなくなります。

でも、こんな時に味方になってくれるのが、ご近所ですね。

この時は集合住宅に住んでいたので、本当にありがたかったです。旦那さんの職場から貰ってきたので、とポリタンクを貰いました。断水の際、給水車のところまで水を汲みに行くのに、どれだけ助かったかしれません。〇〇にまだ水が売ってた、生理用品もまだあった(びっくりするほどなくなりました)、などの情報もいち早く教えあいました。

顔見知り、という程度の付き合いでしたが、こんな風に助け合いが起こす相乗効果を、この時初めて思いしりました。