3/11(金)、どうやって家族が帰宅してきたか、友人知人に聞きました。
心配した上の子も、真っ暗になる前に、無事に帰宅してきました。どこの親でもそうであるように、わたしもどれだけ安堵したかしれません。たまたま、高校の近くの駅から自転車で通学していましたので、電車が止まっても、家まで自転車で帰って来れたのです。電車は、完全にストップしていました。
電車通学、通勤をしている家族を心配している方は、多くいました。後から聞いた話しでは、やはり徒歩で帰宅してきたケースが多かったようです。国道沿いに、心配して車を走らせてきた家族とばったり遭遇したケースをいくつか聞きました。
コンビニの前で、疲れてしまって座り込んでいるところを、車から家族がたまたま見つけた話しも。携帯がかろうじてつながったところで、場所を聞き出し、男兄弟が自転車で迎えに行った話しもありました。
国道は、当初大渋滞だったため、東京方面から、避難民のようにとぼとぼと歩いてくる大勢の人が、判別しやすかったようです。靴の問題も聞きました。今、上の子は、職場にスニーカーを常備しています。
わたしの職場の東京本社は、帰宅できずに1泊した人も多かったそうです。会議室の机や椅子、団ボールを敷いて寝たそうです。電気は止まっていませんでしたが、とても寒かったそうです。その後、備蓄品として、大量のカップ麺が導入されたのは、こちらの地元の職場も同じですが、今はないような気がします。見かけませんし、意外に賞味期限が早くて、皆に配って食い尽くして終わり、だったと思います。
わたしは1人生き延びるつもりで、ロッカーと車に、水、カロリーメイト、カップ麺を置いていますけど(笑)。
そして、夫です。これが、何もなかったかのように、しれっと帰ってきたのですね。大丈夫だったか、とか、大変だったね、とかはなしです。そして、いつものように、テレビを凝視しながら酒を飲み、いつもの時間に寝ました(笑)。わたしとこどもらが、やれ片付けだ、ゴミ袋が足りないだ、懐中電灯はもっとなかったか、電池はどこだ、と、上から下への大騒ぎをしているというのにです。
仰天なことに、次の日も、その次の日も普通に仕事(バイト)へ行きました。
↓この日とまったく同じでした。
親の葬式に・・ - 1965年生まれの日記~離婚しようかやめとくか~
やはり、何か欠落しているのですね・・。
命の危機が迫っているかもしれない!というこの時に、日常のルーティンを外さない、というのは、アスペルガーの顕著な傾向です。これをやって、という指示がないと動けないのです。ただただ、いつもの行動を繰り返すのみです。
本当は、あれを買ったきて、売ってないか見てきて、ここを掃除して、危ないから物を下ろして、などなど、頼みたいことは山のようにあったのです。でも、わたしはもうあきらめモードなんですよ。なんの期待もしない方が、かえって気が楽だということにきづいてしまったのです。いらつくより、自分の心の安寧を保ちたいのです。
当時は、幸い優秀な(?)こどもが家にいましたので、わたしの手足になって助けてくれました。残念なことに夫はクソの役にも立ちませんでした。