先日、ディズニーで豪遊してきた話しを書きました。こどもの稼いだ金でフラフラ遊んできて、いい気分になっていましたが、実際のところ、こどもらにはぜんぜん贅沢な遊びをさせてやれませんでした。
こども自身は、贅沢って何?くらいの感想なのかもしれません。
もしかしたら、逆に、お友達から聞いた話しが、家ではまったく聞かないようなものであったかもしれません。例えば、夏休みの海外旅行、沖縄や北海道に家族旅行した話し。リゾートホテルに連泊したりとか、週末に親子でスキーに行った話しなど。別荘に行った話し、ディズニーにお泊りに行った話し。お誕生日の記念に、家族一同でレストランで食事した話し。どれも、我が家には、縁のなかった話しです。
わたしの前では、何も話さなかったというのは、かえってそこまでこどもに気遣いさせてしまったということです。
うちでは、こどもが小学生の頃までは、夫の実家のある田舎に帰省という形で、旅行していました。その帰りに、せいぜいホテルに1泊したくらいでしょうか。小さかったこどもらは、大興奮で、大はしゃぎ。温泉!ホテル!と騒いでいました。
親が大きな企業に勤務していれば、福利厚生もあって、補助金があったり、保養所などがあったりしますよね。ボーナスで家族旅行とか、当たり前のお宅も多いと思います。うちは、夫がアレだったので、いっさいありませんでした。
わたしは、若いころバブル時代の丸の内OLでしたので、一通りあの時代の楽しみを享受しています。一流ホテルでのディナーや、海外旅行、スキーなど、当時は特別豪勢だとかは感じないで、普通に楽しんでいました。みんな、そういうものかと思っていたのです。
夫だけでなく、わたしも自覚が足りなかったといえます。
そういう生活は、普通にしていても手に入るものだと、まっとうに生活していれば手にすることが出来るものと、なんとなく思っていたのかもしれません。
気がつけば、生活費すら危うい状況でした。そこから脱却しなければと必死でしたが、すぐ、こどもの学費が将来不足するという現実に気づきました。
もう、そのあとは、必死に仕事をし、必死に節約し、常にコスパ優先の生活を送ってきました。こどもの前では、「お金がない」という言葉は口に出さないようにしていたつもりですが、一緒に生活していれば、分かってしまうものです。
その証拠に、こどもから、あれを買ってこれが欲しい、と言われたことは、一度もなかったです。むしろ、わたしの方から、PC買わなくて大丈夫なの、学校で使うんでしょ・・?と、恐る恐る聞く始末でした(この出費が1番痛かった)。
こうして、2人とも学校生活が終わった今、よく昔のことを思い出します。
夫だけでなく、わたしにもその責任はあったのだなと。親としての、自覚が足りなかった、考えが浅かったと。こどもには、申し訳ないことをしてしまったなと思います。金と時間をかけて、いろいろな経験をさせてやれなかったのは、残念です。