1965年生まれの日記~離婚しようかやめとくか~

結婚して30年・・夫は発達障がいかもしれません

バブル期OLの実態①

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私が新卒で勤務した企業は、丸の内にありました。実家からは、余裕で通勤圏内です。と、いうわけで、わたしもあの時代の華やかさを、多少なりとも享受したわけです。

一体何十年前の話しをしてるんだって(笑)感じですが、今の年若い方は知らないであろう実態を、備忘録として書いてみようと思います。うちのこどももびっくりでしたので。肩パッドとかね(笑)。

【当時は普通だったこと】

①普通に海外旅行

LCCもなかった当時、飛行機代はいくらくらいだったか・・。

わたしの場合は、ケチして直行便など使わなかったので当てになりませんが、ヨーロッパまで往復12万円ほど払った記憶があります。

→のちに悲劇の続きがあります。そのうち、気が向いたら書きます。

②普通に毛皮で出勤

みんな持ってました、毛皮のコート。結婚後、見ていません。

「かあさん、あの毛皮のコート、どうしたんでせうね」w

③残業したら、普通にタクシーチケット

下っ端社員にも、普通にチケットがバンバン切られました。

実家までドアツードアで帰宅しました。当時、家まで8000円くらいだったような。

④社食以外のランチは、普通に外のレストラン

部署の女性達で、よく外にランチに行きました。

席取りや予約、事前注文のため、下っ端社員(わたし)は11時半には先に出ます。

13時までゆっくり食事して、帰社するのは13時半近く。でも、皆そんな感じでしたね。もちろん、お咎めなんてありませんでした。

⑤時差出勤は普通に昔からあった

通勤地獄は、今も昔も、いえ昔のほうが酷かったかも。

昔は、地下鉄はエアコンが効かなかったって、知ってましたか。途中から地下に入る路線は、社内放送が入るんです。

「これから地下に入ります。窓側のお客様は、協力しあって窓をお開け下さい。」

この作業は、立っている乗客の務めと化していました。

わたしは力がなくて開けられず、ウンウンやってると、席のおじ様が立って開けてくれることも多かったです。懐かしい記憶です。

⑥社員旅行は、普通に香港orハワイor温泉orスキー

スキーは当時、本当によく行きました。

一度、1人で無謀なほど上の方まで上がってしまい、あまりの急な角度に怖気づいて、降りられなくなりました。

困っていたところ、心配して探しに来てくれた男性社員の方に誘導されながら、暗くなる前に、何とか下まで帰ることが出来ました。

彼はその後大出世して、トップにまで上り詰めたのを知ったのは、家にPCを導入してからです。

なんか、モッタイナイコトシタヨウナ(笑)。まぁ、そんな関係ではなかったのですけど。

思いつきで書き始めましたが、まだまだ出てきますね、続きはまた明日。