1965年生まれの日記~離婚しようかやめとくか~

結婚して30年・・夫は発達障がいかもしれません

東日本大震災の後、やらなくなった習慣

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(これは3月に書いたものを、加筆修正し、再掲載しています)

また、大きな地震がありましたね。ちょっとの間何事もない日々が続くと、あっという間に地震の恐ろしさを忘れてしまいます。

東日本大震災のあと、うちでは風呂の残り湯で洗濯するという、それまでの習慣がなくなりました。

震災の時、非常にラッキーだったのは、バスタブに残り湯があったことです。これは生活用水として、おおいに役立ちました。

例えば↓

①初日、翌日は、手足や顔を洗うのに使いました。

②初日は頭も洗えました。

③トイレを流すことが出来ました。(*大きな地震の時は、内部破損のおそれがあるため、流すことはしないほうがよいとのことです)

④最低限の下着も洗うことも出来ました。

⑤床が落ちたもので散乱し、こぼれた調味料などをふくため、雑巾が必要でした。この雑巾も洗うことが出来ました。最後の方は、こういうすすぎ水もトイレを流すために取っておきました。

思いがけず、どれだけ助かったかしれません。

それまでわたしは、風呂の残り湯で朝に洗濯し、ついでに風呂を洗ってから出勤するのを習慣にしていました。

もちろん、節約の一巻でもありますし、こどもの体操服などの衣類の汚れ落ちもいいですし。帰ってからの風呂掃除は、疲労のダメージが大きいので、朝の仕事にしていました。

しかし、当日は午後半休を取って、授業参観に行くことになっていました。洗濯も風呂掃除も、午後学校から帰ってからやる時間があるしと、さぼったのが幸いしました。

実際のところ、飲み水に困るご家庭は少なかったと思います。

給水車も回ってきましたし、ホームセンターやドラッグストアー、スーパーでは、在庫の飲料類をありったけ売ってくれました。

ただ、生活用水に困っている家庭はかなり多かったです。

井戸水が出る家は、玄関先に、「自由に汲んでください」の張り紙をしてくれていました。それでも順番待ち、容器を代えてまた来なくては、全然足りません。

うちも、いつまで続くのかと心配になり、給水所まで行きました。ガソリンと相談の上です。遠くて重くて車でないと大変でした。

こどもが何回か自転車で行ってくれたりもしましたが、あっというまに使ってしまうんですね。近所の方が気前よく分けて下さった、20Lのポリタンクがおおいに役に立ちました。

食べるものは、家の中にあるもので、何日か食べることが出来ました。普通に買い置きしているものもあり、ガスが使えたこと、カセットコンロも鍋用に常備していたこと、などから煮炊きには困りませんでした。

停電も幸い免れました。地震後、計画停電があり、職場はその関係で午後休みになったりなどありましたが、家のある場所は大丈夫でした。

懐中電灯を照らして何かするという状態にもなりませんでしたが、ロウソクは、100均でもホームセンターでも、あっという間に売り切れ。テレビで、火災の原因になるから使用しないようにと、繰り返し言ってました。

地震の後数年は、心配から、大きいポリタンクに水を満タン入れ、洗面所に常備していました。

しかしこれが重くて、使う時に持ち上げるのが大変なんです。トイレを流そうにも、重すぎてうまく傾けられません。でも、風呂の残り湯は、洗面器でも、バケツでも、空のペットボトルでも、簡単に必要な分だけ汲むことができます。

今でも、バスタブの水は絶対に切らさないよう、いつも水を張っています。

毎日お風呂に入る直前に前日の湯を捨て、洗って、すぐに水を入れます。面倒でも、残り湯がもったいなくても、あの時のことを考えれば、恐ろしくてやめられません。

水道が止まっていたのは、たった4,5日です。でも、髪が洗えないから出勤できない、という同僚がいました。水を汲みに行かないといけないから、と仕事を休む人もいました。水を大量に汲み置きできるものはないかと、休んでいるにもかかわらず、職場に来た人もいました(一斗缶を持ち帰りました)。

もう、あんな目には遭いたくないのですが。神のみぞ知る、なんでしょうか。。