夏休みの旅行云々と書いていて、思い出した話です。
「木賃宿」という古めかしい言葉を知ってますか。現代では、安ホテル、簡易宿泊所としての意味合いもあるようです。もっと、進んだ解釈では、ドミトリーのあるゲストハウスも入るようです。
上の子が小さいころ、まだ2歳くらいのことです。夫と子供と3人で、日光方面へ出かけました。
季節は秋で、紅葉が美しい反面、大変な人出でした。渋滞もひどく、全然進みません。わたしは、こんなことになると容易に想像がついたので、まっすぐ帰ろうと、夫をせかし続けていました。まだ2歳の子供には、負担が大きいからです。
しかし、夫は、せっかくここまで来たのだからと、あっちも行こうこっちも見よう、と寄り道をやめません。それなりに楽しかったとはいえ、いざ帰宅するとなった時には、夜かなり遅くなってしまいました。あいかわらず渋滞は進まないし、家までまだまだあるのです。
これが大人2人ならいいのですが、子供が疲れてぐったりです。あげくには、夫も疲れて、これ以上運転したくないと言います。
こうなることがわかっていたから、早く切り上げようと何度も言ったのに。わたしは泣きたくなりました。運転を代わってくれと言われても、わたしだって疲労困憊です。
当時はネットもありませんでした。わたしは、運転席を倒して寝てしまった夫を放置して、道路わきの公衆電話に入り、タウンページから手当たり次第宿に電話してみました。公衆電話の住所の表示を見て、ここから近い場所を探したのです。連休だったのと、深夜近かったので、どこも「今からですと・・」と やんわり断られました。当然ですよね。
幸い、いいですよ、と言ってくれた民宿?が1件だけありました。場所もそう遠くはありません。目の前がぱっと明るくなる思いでした。とにかく、お風呂に入って足を伸ばせて眠れる、と即決です。
その宿に着きましたが、暗闇の中、どんな民宿なのか皆目わかりません。
中の様子もよくわからないまま、小さな畳の部屋に案内されました。部屋の仕切りは、ふすまで、その向こう側にも誰かが休んでいる気配がありました。お風呂は、昔ながらのタイル張りの、小さな家のお風呂でした。その晩はすぐ休みました。
朝食は出るとのことでしたので、次の日の朝、昨夜説明された部屋に向かいました。そこで初めて、この宿がどういう宿だったのかわかりました。
狭い座敷の朝食会場は、長テーブル2つだけの空間に、工事関係者と思われる男性がたくさん座っていました。朝食も、いわゆるホテルとか旅館のそれではありません。ご飯はおひつから自分でよそい、漬物や梅干しも中央に置かれ、目玉焼きと納豆くらいだったでしょうか。男たちはあっという間に食べ終えて、出て行ってしまいました。向こうも、小さな女の子を連れて入ってきた私たちに、違和感を覚えたようです。
私は当時、まだ夫に対して弱腰だったと思います。強く自分の意見を通せなかったのです。こんな無計画でわたしと子供を振り回し、あげくは責任放棄とも思われる態度です。今から思えば、この後何度となくこんなことが繰り返されました。あの時、夫の人間性をもっと疑っていたら、と思わずにおれません。