1965年生まれの日記~離婚しようかやめとくか~

結婚して30年・・夫は発達障がいかもしれません

この喪失感は、いったい何なんでしょうか・・

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これまで、家の中に確かに存在していた、子供の気配。

部屋で、友人や彼氏さんと電話で談笑する、笑い声。家族で一番遅く、深夜近くにお風呂に入る物音。寝る前に下に降りてきて、玄関の鍵をチェックする音。夫がたびたび施錠し忘れるので、最後にチェックするのは、長年上の子の役目でした。中学生の頃からです。わたしだと、布団に入って、うっかりそのまま寝てしまうことも多いからでした。

もう、今は何も感じられません。確かに、子供はいなくなってしまったようです。そこのところの、認識が追いつきません。

下の子が生まれたときは、もう経済的に暗雲が立ち込めていたので、1歳過ぎで早々にパートに出ました。不安ながらも、夫に面倒を見てもらい、まだ幼い上の子に頼むこともありました。かなり、手抜きをする部分が多かったです。

でも、上の子は、丁寧に、思う存分こだわって、舐めるように可愛がって、育てました。2人で向き合っての育児は、疲れたとか、1人になりたいとか、仕事に出たいとか、ゆめゆめ思いませんでした。子供嫌いだったわたしは、こんな面白い生き物があったのかと、有頂天でした。

それから30年近く。ずっとそばにいたからなんでしょうか。やっと独立したというのに、この喪失感は、いったい何なんでしょうか。

わたしが目指していたのは、この着地点だったはずです。そして、ゴールが近いことも、わかっていたのです。

昔、寒い冬の夜中に起きだし、凍った車のエンジンをかけ仕事に行っていたあの日々。秋の夕方、窓の外がだんだん暗くなっていくのを見ながら、家に残してきた子供たちを思って、よその子の勉強を見ていたあの日々。いつまでも仕事の内容が理解出来なくて、身が縮む思いで終業時間を待ちわび、逃げ帰るように家に車を走らせたあの日々。まだ暗い朝、ふらふらしながらようやく布団をはい出て、子供を起こし、朝食を並べ、弁当を作って送り出したあの日々。あともう少し、あともう少し、もうちょっとの我慢、と思って、ここまで来たというのに。

多分わたしは、母親の役を演じるのに慣れきってしまったんだと思います。急に、「もう、やらなくていいから。」と言われ、うろたえているんだと思います。

そして気づけば、あいかわらず30年前から化石のように変わってない、夫が目の前にいるという事実です。

2人とも、早くこんな家から飛び出して、自分の世界を作って欲しい。そう思ってきました。だから、わたしの願い通りになったのです。それなのに、喪失感で、心の中がいっぱいです。