3月11日が巡ってきました。
今は遠く離れて暮らす子供たちも、あの日を思い出しているだろうと思います。
わたしの住んでいる町は、ちょうど震度5と6の境目にあります。
↓2011/3/11 NHKニュース
地震発生時は、下の子の授業参観中でした。
もし今日が大災害の始まりなら、子供の1人と一緒にいられたのは幸いだと思いました。
こんな日がもう1度やってくるというのでしょうか。
↓備蓄を始めたころは、まだこんな物価高ではありませんでした。
まさかたった10年そこらで、米の値段が倍になるとは。こんな物価になるとは。
前にも書いたのですが、家が潰れビルが傾くような大災害になれば、もうこれ以上非常食料や水をしこたま買い込んだところで…。と、つい思ってしまうわたしです。
↓これがわたしの本心なのです。
逆に家屋が残るような災害であれば、備蓄が役に立つでしょう。
せめてその時は人様の情けにすがることのないよう、今の備蓄で充分とします。
バッテリーの充電がなくなればラジオがあるさ。
乾電池が切れたら、人の集まる場所に出かけて情報を得るさ。
安心できるレベルの備蓄を備えるには、お金が要ります。
まだ見ぬ災害に備えて、備蓄にお金をかけるか。
すぐそこまで来ている年金貧乏に備えて、貯蓄にお金をかけるか。
人それぞれだと思いますが、実体が確約されていないものにお金を費やす余裕はわたしにはないです。
還暦まで生きることができて感謝、この先は運命に従います(大袈裟ですがホントにそんな気持ちです)。
ただ、命のバトンを渡した孫には、22世紀まで生き延びて欲しいんですよね。
事故や病が避けられたら必ずや2100年の向こう側に行けるはずの、わたしの命ですから。