
ヌヌヌヌヌ…暑い…。そしていつになったら花粉止まるのだ。
入院当初、父親は初めてのオムツに混乱していました。
ぶっちゃけ背骨の骨折より、オムツの方が本人には大事でした。
幸い思いがけず回復し、今は自分でトイレに立つことができています。
でも93歳。あとどのくらいの時間、それができるのやら。
人生の最後、わたしもああなるのか。
わたしも誰かにオムツを替えてもらう最後が待っているのか。
わたしはいいけど(いやよくないけど)、夫のオムツを替えるのかと思うとゾッとします。
育児が終わってから、人様の排泄物を見たり嗅いだりということもなかったため、今回親の入院では現実をまざまざと見せつけられました。
両親とも、家で最後まで過ごしたいという希望です。
自宅で過ごす限界点が、自力でトイレに行けるかということ。
排泄の介助は、家族に多大な犠牲を強います。
夜中に起こされたり、汚便で寝具や衣類を洗濯したり。
少し前に、2階で粗相をした母親の両足を持って階段を引きずり下ろし、死なせてしまった事件がありました。
職場で、
「他人事じゃないわ、わたしだってやってしまうよ」
と、ひとしきり話題になりました。
きょうだいとは、一応話し合いが済んでます。
頭がはっきりしている父親は、訪問看護や訪問診療で最後まで家で。
母親は、認知症がひどくなれば施設に入ってもらう。
わたしもきょうだいも、この先自分の老後があります。
家が持ち家であっても賃貸であっても、誰もが間違いなく、この問題に直面します
施設に入るということは、すなわち賃貸に入るのと同義語です。
ひと昔前は、持ち家を売ってそのお金で老人ホームに、という図式でした。
しかし実家の親は、そのタイミングを得ないまま、ズルズルとここまでま来てしまいました。
自分の老後の心配の前に、親の問題がここに来て浮上しています。
老老介護でなく、老老問題です。