昨日職場で、ひょんなことから、足首を捻挫してしまいました。
これから廃棄されるであろう段ボールの山を、身軽に飛び越えたつもりが着地に失敗(笑)。足をぐねってしまったんです。
帰宅後ひどく腫れあがってしまい、家で湿布を張って様子を見ていましたが、一晩立って、増々痛みも増してしまいました。
これでは、車の運転ができません。そこで先ほど、近所の整形外科に行ってきました。
病院で診てもらうと、幸い骨折ではないものの、筋を痛めてしまったようです。
病院へは、夫に車を出してもらったのです。しかし、整形外科は中々の混みよう。それを見て、夫は先に帰宅しました。
別に付き添ってもらうつもりも、ハナからありません。
ところが、診察が終わって電話をすると、夫は出ないのです。どうせ昼寝してしまったのだろうと、痛い足を引きずって帰りました。
案の定、爆睡していました。しかも、飲んだ形跡があります。
普通なら、この状況はおかしくないですか?別にわたし、「迎えはいらないから」「バスで帰るから」とか、言ったわけじゃないんですよ。
まぁ、迎えに来てくれと言ったわけじゃありません。でも、普通はわかりますよね?足が痛くて歩けないから、車で送って欲しいと言ったんですから。手を怪我したわけでは、ないんですから。
発達障がいの人は、こういうところを察する、読む、ということが、できないのだそうです。先の見通しが、きかないのです。
想像力が、大幅に欠落しているのです。思えば、昔からこうでした。
子供らがまだ高校生の頃、駅まで迎えに行くとなったら、必ずわたしでした。夫は、飲んでしまうからです。
この辺は田舎なので、子供が免許を取るまで、送迎は親の役目の一つです。
子供と仲の良い同級生は、お迎えに来るのは、お父さんの仕事と決まっていました。例え、文化祭の準備で遅くなろうと、電車が事故で遅延しようと、どんなに遅くなっても、必ずお父さんが迎えに来るのです。
大事な子供が、無事に帰宅しないうちは、おちおち飲んではいられないから、と言って、いつも晩酌しないで待機していたのだそうです。
なぜ、こんなことまで知っているのかというと、うちの子が聞いたらしいのです。学校から、駅から、同じ方向だから乗って、と、しょっちゅう同乗させてもらっていました。
子供は、その話しを聞いて、(他所のお父さんは、毎晩飲んだりするわけじゃないんだ)と、ちょっと驚いたと言っていました。
数年後、その子のお父さんは、大学の学費を払い終えるまで、飲むのは日曜日だけにしたそうです。「うちの大学、学費高いからさ。申し訳なくてさ」と、友達は言っていたそうです。
これを聞いた時、わたしは、自分の夫が恥ずかしくなりました。
夫は子供を、可愛がっていなかったわけでは、決してありません。
でも、家庭という単位で、職場という単位で、自分の立ち位置を眺めたとき、己が何をすればいいのかという視点が、まったく欠如していました。
子供が帰宅していない=車を出して、駅まで行かなければならない=送迎、という計算式が、頭の中に成立しないのでしょう。
一事が万事、この調子です。こんなところまで生活してきても、これからの老後の生活に、ストレスしか感じられません。。。