1965年生まれの日記~離婚しようかやめとくか~

結婚して30年・・夫は発達障がいかもしれません

東日本大震災①当日の話し

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あの大震災から、もう11年です。今年の3月の曜日の並びは、かの2011年と同じなんですよね。あの日も金曜日でした、忘れません。

地震の経験談なんて、日本人なら誰しも語れるものを持っていると思います。しかし、先日、熊本の地震を実際に経験した方のお話を聞く機会がありました。100人いれば、100通りの経験があるのだなぁと、感慨深いものがありました。

ですので、わたしの経験も、ここに備忘録代わりに残しておこうと思います。一応、日記ブログですのでね。

うちは関東平野の真ん中より東南寄りです。念のため申し添えておきますが、津波などの大きな被害は一切ありませんでした。市内の死者も、数名といったところです(家具の下敷きなど)。それでも経験したことのないことばかりでした。

当日は金曜日で、わたしは午後から下の子の中学校に授業参観に行きました。午後半休を取って、車で学校に向かいました。

授業参観中に、大きい揺れがあり、小さく悲鳴が上がりました。しかし、この辺の人は地震なんて慣れっこです。最初は、誰も反応が薄かったです。

ところが、ドドドドドという地鳴りとともに、教室の窓ガラスがパーンパーンと割れたのです。教室の棚もガッタンガッタンと大いに揺れ、保護者一同ももはや立っていられません。そして、揺れは繰り返しやってきます。

とりあえず何も持たないで、校庭へ避難せよとの放送が入りました。

まだこの時点でも、「いや~本物の避難なんて初めてですよぉ~←先生」「トイレ行ってきていいかしら~←お母さん方」などなど、まだ全員が余裕ぶっこいていました。

このあと、校庭に全員避難してみると、校舎全体が大きく揺れ動いているのがわかります。これは、かなり異常事態なのでは?と、ここで初めて皆恐怖を感じたと思います。

2時間近くもそうしていたでしょうか。帰宅したい、との声があちこちから上がりました。しかし、学校側は、市内の信号も止まっている、揺れも収まらないので出来るだけここで様子を見るようにと言います。段々日も暮れるし、家にこどもも帰ってくる時間です。小雨、小雪もちらついて、寒くもありました。

先生と保護者の言い合いのような状態が、そこここで見られましたが、自分の責任で帰宅する、という話しに落ち着いたようです。ただし、校内に残したカバンなどの私物、靴などを取りに入るのは禁止されました。

大混雑の駐車場からやっと車を出し、こどもと帰宅の途についたのですが、途中信号機や歩道橋がグラグラ揺れ、停車中も車ごと揺れるのがわかり、恐ろしかったです。看板などが倒れてきたらどうしよう、と。

無事帰宅すると、上の子が帰っていません。携帯もずっとつながらず、こんな時は心配といえど何も出来ません。

近所の人と話したり、家の中を片付けたりしていると、ようやく上の子が帰ってきました。自転車通学で、途中電車が線路に止まりっぱなしのため、踏切が開かなかったそうです。学生一同困り果てていると、近所の大人たちが協力して、見張りを立てながら踏切を上げて通してくれたそうです。

わたし自身も、この後近所の方から助けてもらったり、お子さんを見ていたり、物をもらったりあげたりと、おおいに力になってもらいました。こんな時、1人では何も出来ないし、身近な情報もネットなどよりずっと早く入ってきます。

田舎とはいえ、この辺はそこまで近所付き合いが盛んなところではありません。地元民は少ない土地です。こういった経験も初めてで、この年齢になって驚きの連続でした。