1965年生まれの日記~離婚しようかやめとくか~

結婚して30年・・夫は発達障がいかもしれません

この結婚、どこがターニングポイントだったのか・・・

結婚を失敗している人なんて、沢山います。やはり、1回目じゃ分からないことが多いじゃないですか。いっしょに数年も生活をして、初めてわかることも多いですよね。少なくとも、わたしはそうでした。

うん、でも、やっぱり。離婚の決断は早い方がいいですねー(笑)。

どこかおかしい、どこかへン、そう思っていても、当時の私は離婚なんて大それたことは、自分には出来ないと思っていました。だって、小さい子供が2人もいる。自分1人で、育てるほどの経済力がない。夫から、扶養費用を受け取るほど、夫にも経済力がない。気がついてみれば、こんな状況でした。

夫が失職する以前に、夫の発達障がい的な違和感は、何度も感じていました。だけど、その時点ではまだ、離婚や障がいの2文字は頭に浮かばなかったのです。時々夫婦ケンカはあったものの、暴言暴力といったものはなかったし、そのころはきちんとした収入もありました。パチンコやタバコなどの、今から振り返れば依存症的な問題はありましたが、当時の男性はそんなもんかと思っていました。

もしも論は無意味ですが、子供が手を離れた今、どこでどうすれば良かったんだろう、どこがターニングポイントだったんだろう、つい考えてしまいます。

やはり最初のポイントは、失職後だったでしょうか。

金の切れ目が運の切れ目、昔の人の言葉は当たっていました(笑)。ここで、わたしの判断が間違ったのかもしれません。けっこう良い額の失業手当、これはもらわなきゃ損だ、とパチンコ通いを始めました。普通なら、大いに焦って、次の仕事を探さなければいけないはずです。

そして次は、再就職後、また1年で失職した時です。

これは、勤務先の職場も問題が多く、自分で辞めてきたのです(最初は倒産)。その時わたしは、せめて次の就職先を得てから、辞めるように何度も念を押したのです。でも、ダメでした。社長のような人と、言い争いになって、ブチ切れて辞めてきたのです。この時、さすがにわたしは泣きました。せっかく、安定して収入が入ってき始めたというのに。この1年で減ってしまった貯金を、また頑張って増やそうと、意気込んでいたのに。

3度目のポイントは、2度目の無職期間に、再びパチンコ通いを始めた時です。

さすがに呆れました。どんな神経をしているのかと思いました。無職中ですよ。何度も辞めるように言いました。子供が、見ているよ、と。でも。夫の琴線には、何も響かなかったようです。

この、2度目の失業保険が切れたとき、わたしは夫を見放したと思います。ここからもう、口をきかなくなりました。必要最低限だけです。失業保険が切れてまもなく、子供たちはそれぞれ受験がありました。父親がこんな状態で、よく合格できたと思います。

ここからはとにかく、学費を稼がなくてはならないと決心しました。顔も見たくない、離婚したい気持ちでいっぱいでしたが、ここまで来てはもう離婚もできなかったです。すでに、泥縄状態でした。