まだ実家にいたころ、親にそう宣言したことがあります。
若い頃は、自分のやりたいことをやって、住みたいところに住んで、行きたいところに行って、短い人生を終わりたいと思っていました。願っていました。
実家の父親は、転勤する公務員でした。
母親は転勤生活の中でも、何かしら仕事を探して、常にパートやバイトをやっている人間でした。いわゆる、じっとしているのが嫌いなタイプでした。
父の帰宅はいつも遅く、母と私たち子供の3人で生活していることが多かったです。父は単身赴任も何度かありました。
親は、人間は1人では生きていけないし、社会や地域とつながりがないと、結局自分が困るのだ、と言いました。だから、その土地に根付く必要があるのだ、と。
それを聞いた時は、本当にそうなのか?と、疑いました。
当時のわたしは、自分にそこそこ自信があったし、なんなら今でも、自分を信じるところが大きいのです。集団行動は、自分がイライラさせられるので、嫌いでした。
そして、子供のころはわりと都会住まいでしたので、災害のニュースを見るたびに思いました。
河川が氾濫しやすい土地に家があったり、山崩れが起きやすい土地に住んでいたり。わざわざそんなところに、住み続けなくても良いのでは?
誰だって、1回くらいは失敗するもんでしょ?祖先が建てた家に、ずっと住み続ける意味なんてあるの?
家の手入れって、外から中まで、常に快適に保つのはすごく大変なこと。
あんな大きな土地や、家の手入れを、皆本当にやりたくてやってるの?もし結婚で、ああいう場所に住むことになったら、自分の意志で変えられるのかな。
わたしの親は、別に特段不仲ではありませんでしたが、昔のこととて、常に母親が家の内外を一手に引き受けていました。
手が空けば、常に家事、家の掃除、家の手入れ、庭の手入れ。子供心に、大変そうだと思って見ていました。気がつけば、庭の雑草を抜いたり、網戸を外して洗ったり、玄関の掃除をしたり、台所や廊下の床磨きをしていました。
母親は、好きでやっていたのかどうかはわかりません。
これも昔の時代あるあるですが、わたしは、そういった家事もろもろを手伝うことはなく、そんな時間があるなら勉強しろと言われて育ちました。
昔とはいえ、中学校受験をする同級生もいる土地柄でした。子供の数も多かった時代です。当時の受験戦争は、全員強制参加の時代でした。
でもまぁ、こうやって、還暦間近まで生きてきて、色々と思います。
皆と同じレールに乗っての競争は、そこそこ勝組だったかもしれません。
学校を卒業し、それまでのレールから降りてみれば、もはや走行ルートを見失い、迷走したのも同然だったかもしれないです。自分のやりたいことや、行きたいところ、そんなものはとっくに失くしてしまいました。
でもこの頃は、確実に、時間の流れを感じられるようになりました。お金さえあれば・・と思うのは、他の人も同じでしょう。この先、どこでどうやって生きていくのか。ふと、考えてしまいます。