朝から快晴。そして、太陽がギラギラしています。とうとう夏が来てしまいました…。
外に出ると暑いですが、窓を開けて家の中にいる分には、まだ耐えられます。
でも、窓を開けておくと、窓の桟がすぐ砂でジャリジャリ。その下の床も。四方に畑などが多いせいです。田舎あるあるなんでしょうけど、拭き掃除も、だんだん面倒くさいお年頃になってきました。。。
ヤフーのニュースを拾い読みしただけですが、市川猿之助さんのご両親の死因が服薬とのこと。
その前のスキャンダルの話しとか、全然知らないのですが、当人ではなく親が自死を選ぶというのは…。
子供の不出来、不始末を恥じてのことなのでしょうか。
それとも、歌舞伎界というちょっと特殊な世界のことですから、「自分の力でもみ消すことができなかったことへの謝罪」的な意味合いだったのでしょうか。
もしくは、これ以上の恥を忍べない、的なことからだったのでしょうか。
まさか本当に生まれ変わろう、なんて思ってはいないでしょうが…。
それにしても、こんな最後を迎えられるとは、お気の毒です。
実は子供のころ、似たような言葉を、親の口からきいたことがあるのです。
それで、つい思い出してしまい、これを書いています。
中学生になったばかりのころ、何が原因だったかは忘れてしまったのですが、父親と大ゲンカになりました。
わたしも、そういうお年頃(思春期の反抗期)だったんですよね。
普段静かな父親と、売り言葉に買い言葉の、どこまでも結論が出ないような言い争いをしてしまったのです。
何から始まったケンカなのか、今ではさっぱり忘れてしまったのですが、最後をしめくくる父親の言葉が、今でも耳に残っています。
「そんなふうにお前を育てた、自分の責任だ。お前を殺して、自分も死ぬよりほかない」
と言ったのです。
父親は、防衛省の役人でしたから、普段から怖い印象がありました。でも、生活するうえでは、母親よりずっと好きでした。
いつもヒステリー気味で、子供に言葉を色々ぶつけてくる母親には、子供心に嫌だなと思っていました。お父さん早く帰ってくればいいな、と、いつも思っていました。
夫婦仲はごく普通だったと思います。ケンカも見たことはありますが、大ゲンカではありません。むしろ、わたしと母親ばかりがケンカしていました。
父親とのケンカは、それが最初で最後です。
その後、別に首を絞められることもなく、包丁で刺されることもなく、何も起こらなかったのですが、その言葉には心底ゾッとしましたよ。
昔の人って、セップクじゃあるまいし、自分の死をもって罪を償うみたいな、まだそんなふうな考え方をするのかな、と当時思ったものです。そんな話は、昔話として聞いたことはあっても、今生きている人間もそんなことを言うとは。
親が自死で責任を取るって…。ウチの親より十歳以上も若い、猿之助さんのご両親ですが、そんな気持ちだったのでしょうか。これ以上、世間から辱めを受けたくないとでも思ったのでしょうか。
せっかく、日本の伝統技能を受け継ぐ人たちのこんな様子は残念ですが、なにやら今に始まったことでもなさそう。
働き方改革ですもんね。歌舞伎界も変わらなくちゃ、存続していけないですよね。