1965年生まれの日記~離婚しようかやめとくか~

結婚して30年・・夫は発達障がいかもしれません

昔親に一緒に死のうと言われた、それどういう発想?

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朝から快晴。そして、太陽がギラギラしています。とうとう夏が来てしまいました…。

外に出ると暑いですが、窓を開けて家の中にいる分には、まだ耐えられます。

でも、窓を開けておくと、窓の桟がすぐ砂でジャリジャリ。その下の床も。四方に畑などが多いせいです。田舎あるあるなんでしょうけど、拭き掃除も、だんだん面倒くさいお年頃になってきました。。。

ヤフーのニュースを拾い読みしただけですが、市川猿之助さんのご両親の死因が服薬とのこと。

その前のスキャンダルの話しとか、全然知らないのですが、当人ではなく親が自死を選ぶというのは…。

子供の不出来、不始末を恥じてのことなのでしょうか。

それとも、歌舞伎界というちょっと特殊な世界のことですから、「自分の力でもみ消すことができなかったことへの謝罪」的な意味合いだったのでしょうか。

もしくは、これ以上の恥を忍べない、的なことからだったのでしょうか。

まさか本当に生まれ変わろう、なんて思ってはいないでしょうが…。

それにしても、こんな最後を迎えられるとは、お気の毒です。

実は子供のころ、似たような言葉を、親の口からきいたことがあるのです。

それで、つい思い出してしまい、これを書いています。

中学生になったばかりのころ、何が原因だったかは忘れてしまったのですが、父親と大ゲンカになりました。

わたしも、そういうお年頃(思春期の反抗期)だったんですよね。

普段静かな父親と、売り言葉に買い言葉の、どこまでも結論が出ないような言い争いをしてしまったのです。

何から始まったケンカなのか、今ではさっぱり忘れてしまったのですが、最後をしめくくる父親の言葉が、今でも耳に残っています。

「そんなふうにお前を育てた、自分の責任だ。お前を殺して、自分も死ぬよりほかない」

と言ったのです。

父親は、防衛省の役人でしたから、普段から怖い印象がありました。でも、生活するうえでは、母親よりずっと好きでした。

いつもヒステリー気味で、子供に言葉を色々ぶつけてくる母親には、子供心に嫌だなと思っていました。お父さん早く帰ってくればいいな、と、いつも思っていました。

夫婦仲はごく普通だったと思います。ケンカも見たことはありますが、大ゲンカではありません。むしろ、わたしと母親ばかりがケンカしていました。

父親とのケンカは、それが最初で最後です。

その後、別に首を絞められることもなく、包丁で刺されることもなく、何も起こらなかったのですが、その言葉には心底ゾッとしましたよ。

昔の人って、セップクじゃあるまいし、自分の死をもって罪を償うみたいな、まだそんなふうな考え方をするのかな、と当時思ったものです。そんな話は、昔話として聞いたことはあっても、今生きている人間もそんなことを言うとは。

親が自死で責任を取るって…。ウチの親より十歳以上も若い、猿之助さんのご両親ですが、そんな気持ちだったのでしょうか。これ以上、世間から辱めを受けたくないとでも思ったのでしょうか。

せっかく、日本の伝統技能を受け継ぐ人たちのこんな様子は残念ですが、なにやら今に始まったことでもなさそう。

働き方改革ですもんね。歌舞伎界も変わらなくちゃ、存続していけないですよね。