1965年生まれの日記~離婚しようかやめとくか~

結婚して30年・・夫は発達障がいかもしれません

コンビニ工場の夜勤パート①

f:id:nikki-1965nen:20211225151517j:plain

小さな子供を預けるのは、お金も手間もかかることが分かった私は、工場の夜勤のパートに出ることにしました。コンビニ食を作っている工場です。全国に割とありますよね。〇〇フーズ、とか、〇〇デリカ、とか。

夜なら子供が眠ってから行けるし、一応実の父親が一緒にいるわけだし、何といっても時給が高いのです。それにまるまる一晩というわけではなく、4~5時間程度だし、そんなに大変でもないだろうとたかをくくっていました。

やはり、夜勤の時給が高いのは、納得がいきました。人間の本能に逆らって、夜中に肉体労働をすることの大変さが分かっていませんでしたね。

立ち仕事自体はそんなに辛くはなかったのですが・・・私は2時~6時という比較的楽な時間帯でやっていたのですが、それでも朝帰って食事の支度、洗濯、家事一通りをこなすと、あとはもう夕方まで何も出来ません。幼稚園のお迎えバスを何度も遅刻しました。たったの4時間のために(通勤時間や準備などを考えると5時間弱)1日がつぶれてしまうのです。

それでも、多くの女性が働いていました。ノーマルな時間帯は0時~6時、22時~6時、のパターン。繁茂期は、早出も頼まれます。今のような、クリスマスやお正月のおせちのシーズンです。

でも、私は当時、まだ古い人間でした。夫の扶養から外れて稼ぐなど考えられなかったのです。子供たちを置いて、遠くへ通勤するなど思いもよらなかったのです。

夜中、暖かい布団を抜け出し、車のエンジンをかけるのもはばかられるような深夜、わたしは週5日通いました。凍てつく寒い夜中も、蝉がまだ鳴き止まない熱帯夜も、通い続けました。

わたしは、あまり他所の芝生は青く見えるタイプの人間ではないので、なんだかんだ9年半勤務しました。子供が小学校に上がってからは、塾の仕事も掛け持ちでやっていた時期もあります。ちょっとづつでも、貯金が増えていくのが嬉しかったのもあります。でも、もっとお金を稼ぎたいからといって、深夜勤務のほうの時間を増やしてはだめだとも思いました。今でも、わりと健康には自信があり、風邪など年に1回も引かないタイプですが、単純労働が辛くなってきたからです。