ついに今年の年賀状は、1枚しか来なかった我が家です(親戚)。
義理も人情も、面倒くさくなってしまいました。今どうしてるか、なんて聞かれても、喜んで報告するほどのものはありません。
ところで、テレビのニュース、ネットで見聞きする、知らない土地の知らない地名に、ふとした瞬間、懐かしさを覚えることがあります。
これ、何でだろう?と思ったのですが、考えてみると、昔年賀状で1度書いたことのある地名だから、ということに気づきました。
まだ、メールも何にもなかった時代。大学時代の、友人の実家の住所です。
在学中に、何度か、遊びに行かせてもらったこともありました。
わたしは関東の出身です。西方面に、親戚などはほとんどいないです。けれど、大学が関西だったため、友人は西の人間が多かったです。ほとんど帰省しない私を、友人達は実家に招待してくれました。
風習風土の違う土地の家に泊まらせてもらうのは、とても貴重な経験でした。
ある家では、こたつに足を突っ込んで就寝するのを、習慣にしていました。わたしは、なんでこんな布団の敷き方をしたのだろう、寒いと思って気を遣ってくれたのか、と勝手に思っていました。
お正月に招待されたご実家で、甘いお餅のお雑煮を出され、びっくりもしました。全然縁もゆかりもないわたしを、親戚一同の新春の集まりに、連れて行ってくれました。
また、他の友人のご実家にお邪魔したときは、夜中に間違った部屋のふすまを開けてしまい、お父さんとお母さんの寝室に突入してしまったのです。
そこで死ぬほどわたしが驚いたのは、(いい年をした)お父さんとお母さんが、同じ布団で一緒に寝ていたこと。これは劇ヤバなことをしてしまったと、滝汗でした。
ところが、友人が話すには、普通にずっとそうやって寝てるよ、とのこと。腰を抜かすほど、驚きました。そういう、2人用の、敷布団(和室用)があるんだそうです。全然知りませんでした。
そのお父さんとお母さんは、このコロナで、相次いで亡くなりました。
子供が巣立って2人暮らしになり、お父さんがコロナに、次いでお母さんに移ってしまいました。2人とも入院したものの(やっと、できたのだそうです)、亡くなったと聞いたのは、つい昨年のこと。
友人も兄弟も、立ち会えなかったし、火葬場で顔を見ることも出来なかった、とのことでした。心の準備期間もなく、相次いで亡くなってしまわれたため、友人は落ち込んでいました。入院したときは、このまま帰ってこないとは、夢にも思わなかったと。
今年は、残された実家の後始末をしないといけないのだけど、全然やる気になれなくて、と言ってました。
たった数日間とはいえ、わたしにとっても懐かしいご実家です。まさか、そんなことになっていたとは。衝撃でした。
このコロナ、また大いに流行ってきているようです。死者の96%が、60才以上の人らしいです。最近は何だか慣れてきてしまって、職場で感染者が出ても、あ~あみたいな空気で済んでしまっています。
知っている人が亡くなったのは、この友人の親御さんが初めてです。自分でも思いのほか、衝撃をくらいました。このコロナ、今年は何とか収まらないものでしょうか。