またちょっと冷えますね。桜はまだ満開の手前です。これが、4月の花冷えってものですよね。
今週、2月に再会した昔の友人から、「また会おうよ」と連絡がありました。
桜も咲きそうだし、またどこかで…というような内容でしたが、前回のぶり返しになるような予感がして、迷っています。
明日または来週はどうか、とのことだったのですが、多分断ると思います。
昔のままの友人だったら、また会いたいです。でも、それはもうかなわない、と前回わかりました。
昔親しく付き合っていて、それなりに性格や人柄も承知している友人でも、つき合いを再開するのは、思っているより難しいとつくづく感じました。
2月に書いた時、書きそびれてしまったことがあります。
自販機で缶コーヒーを買った時、友人に「一緒にいい?」って言われ、とっさに「うん」と答えてしまいました。
一緒に続けて同じのを買って、という意味だととらえてしまいました。
わたしは元々、人におごったりおごられたりすることが苦手です。
仕事の上なら、一向にかまわないのです。それは、もう仕事の話しですから、次元が違うからです。それに仕事上の相手なら、経済状況(給与)もわかっています。
ですので、これまで日常生活の交際で、1本の缶珈琲のようなものでも、わたしが人におごったりおごられたりする状況は、ちょっと考えたことがなかったです。
代金をくれなかったので、ああそういう意味か、と思いました。「いや、お金ちょうだい」とは、とっさに言えなかったです。
親しい間柄の友人、だったとしても、わたしはちょっとムッとなりました。
ただのその場のノリだったのかな。そんなこと言う人じゃなかったんだけど。学生時代も、こんなシーンはなかったと思うのですが。
でも、その後彼女の話しを聞いていたら、なんか「これは大変だ」状態。だからなの?
立派な持ち家があるのに、子供の学費は全部奨学金?私大で大丈夫?
なぜ、そこまで多額の借金を?平均寿命を超えるローン返済、ホントに大丈夫なの?
口をはさみたい気持ちは多々ありましたが、彼女はそれを遮るように怒涛のトークをかましてきたので、多分わたしの意見は必要とはしてないのだなと感じました。だからただ、うんうんと聞くだけでした。
この「わずかな金額だから、別にいいでしょう?」みたいに、缶珈琲代をねだられたのが、地味にこたえました。
もう1度こんなことがあったら、彼女を嫌いになりそうです。
わたしは昔からケチくさい性格だって、もう忘れてしまったのかもしれないです。