1965年生まれの日記~離婚しようかやめとくか~

結婚して30年・・夫は発達障がいかもしれません

20年前の8月13日、あの頃を思えば今は

世間はお盆ですね。

今、こんな風に1人でゴロゴロを堪能しているお盆は、20年前は想像できませんでした。

40歳だったわたしは、結婚後続いていた習慣通り、夫の実家に家族で帰省していました。

多くの同じ境遇の女性と同じように、わたしも子供の喜ぶ顔だけが救いで、夫に付き従い帰省したものでした。

13日の夕方、お墓にお迎えに行くのです。

それは土地特有のやり方なので、ここに書くことはしませんが、きちんとした服に着替えて化粧もして、義父母を先頭に行ったものです。

そこで育った夫には、それは恒例行事でもあり、懐かしさもあり、知った顔に再会する楽しみもあったでしょう。

でもその配偶者にとっては、ただただ義務感のみ。

帰省は盆と正月、年に何回もないのだからと自分に言い聞かせ、義父母の指図の通り、本家の嫁として何でもこなしました。

朝昼晩と食事の支度に追われ、作っては買い物に行き、合間に子供の様子を見て、酒の席では親戚や客にお酌して回り。

地元の有名なお祭りを1度も見たことがありません。そんな時間があれば、横になって休んでいたかったのです。

姑にきつく当たられたとか、そういうのはないんです。

ただ、当時嫁はそう行動をするのが常識と思われていたし、自分もこうするのが正解と悟っていたから、やっていたわけです。

その後すぐ夫は失業し、帰省する金銭的余裕はなくなりました。

まさか今、こんな生活を送っているとはね。20年前の自分に教えてやりたいです。

そのまた20年前、日航ジャンボ機墜落事故の日、わたしは学生時代の部活の仲間と、長野で流星観測をしていました。

当日の晩は雨、

「今夜の観測は無理だね」と、遅くまでジャンボ機行方不明のニュースを見ていました。

翌日、多くのヘリコプターや自衛隊機が飛んでいた光景を忘れられません。

あれから40年なんですね。次の20年後、自分はどこで何をしているのでしょうか。