長期休み、どんどん起床時間がずれていきます(>_<)。
わたしくらいの年齢の女性であれば、きちんとお盆行事を取り仕切り、家族や帰省してきた子供のためにご馳走をこしらえて、一家の主婦として色々取り仕切っている方も多いんだろうな。わたしなんか全然違って。ちょっと遠い目になってしまいます。
【50年前のお盆】
子供時代は、親の実家へ帰省して、夏を過ごすことが多かったです。やはり子供は、田舎で遊ぶのが好きですよね。
川で泳いでうっかり流されて、気づいたら遠くの対岸に死ぬ思いでたどりついたこともありました(小学3年でした)。大勢のいとこと遊んでいましたが、付き添いの大人はせいぜい1人。それが普通でした。
この経験がトラウマになって、子供には水泳を習わせました。わたしの時代は、プールの授業でも教師に突き落とされたりしたので←普通の光景でした、ほぼ全員が(強制的に)泳げたように思います。
今、Googleマップで見ても、けっこう大きな川なんですよね。ちなみに、今は遊泳禁止になっていました。
【40年前のお盆】
高校生でした。受験を目前に、相変わらず部活に励んでいました。片手にデルタン←死語を握りしめ、毎日補習と部活をやっていました。
友達と過ごすのが楽しい時代でした。
【30年前のお盆】
結婚して、夫の家のお盆学習が始まりました。
自分がいずれ、死ぬまでこれをやらなければならないのかと、ちょっと絶望しました。
そのころは親戚が大勢家にやってくるので、そのお世話が大変。朝早くから夜は寝るまで、女中のように働きました。お正月もそうでした。
【20年前のお盆】
子供を連れて、やはり夫の実家に帰省してました。
このころはもう義母は亡く、すべての家事をこなしました。子供に目が届かなくて事故があっては大変と、とそればかりが心配でした。
子供たちは夫の広い広い実家で、いとこと遊んだり、海や川へ行ったり、夜は花火をしたり。山へ行ったり、畑で収穫したり。それも夫の失職で、途中で終わってしまいました。
でも、子供にはとても楽しい夏だったことでしょう。わたしが内心色々葛藤しながらも、夫の帰省に従っていた理由は、ここにあります。
【10年前のお盆】
子供2人は、もう学校生活が中心。お盆に帰省するのは、その数年前からストップしていました。
そういえば1度だけ、夫を抜きにして3人で帰省したことがありました。そのころ、夫は無職で、帰省して色々聞かれたくなかったのだと思います(次の夏も無職だったんですけどね)。
わたしは、もう今の職場で働き始めていました。2人の朝食を準備し、子供は学校へ行くことも多く、弁当を作ったり昼食代のお金を渡したり。
2人とも勉強一色といった夏でしたが、わたしもわたしで余裕のない日々でした。
今、こんなに暇でゆっくりしていて、何だか落ち着かないです。とうとう夫婦2人になってしまったな、という感じです。
振り返ると、ここまで来たんだなぁという思いですが、これからまだ30年くらいはあるわけで。あの実家に帰るには、修理や補習で莫大な出費をしなけれなならないはず。それでなくても、もう空き家になって数年経ちます。
自分の実家に戻ってもいいのですが、両親が健在なうちは戻る気になれません。絶対母親と揉めるに決まってますし。
あと5年の労役が終わるまでに、どうするか考えなくてはなりません。