1965年生まれの日記~離婚しようかやめとくか~

結婚して30年・・夫は発達障がいかもしれません

1度だけ、離婚届けを取りに行った話し

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初めて離婚したい、と思ったのは、下の子を出産してすぐの頃です。

そのころはまだ、夫が発達障がいとかADHDとか、考えてもみませんでした。そういう言葉すら、知りませんでした。

下の子を出産して、病院から戻ってきました。わたしは、実家に帰るという選択をしなかったので、病院から直接家に帰ってきたのです。入院の間、上の子はわたしの実家で預かってもらっていました。夫は、わたしの実家に上の子を迎えに行き、次に病院で、わたしと生まれた下の子を拾って、家に帰ってきたというわけです。

家に入るなり、何かの臭いがしました。腐ったような臭いです。仕事から帰ってきて、窓を開けて換気するということをしなかったのだな、と思いながら中に入りました。

部屋の中は、テレビの特集でやるような、ゴミ屋敷と化していました。いえ、ゴミはゴミ箱に入っていました。皿も流しに下げていました。それでも、わたしの目にはゴミ屋敷に見えました。

洗濯はしていない、トイレ掃除もしていないから汚れがついている、洗面所も汚い、台所の流しには、汚れのこびりついたままの鍋が放置、部屋中に、脱ぎ捨てた服や靴下が散乱しています。ゴミ箱もパンパンです。台所の床には、何かを買ってきてそのままのレジ袋が、いくつも置きっぱなしです。冷蔵庫の中も、ぐっちゃぐちゃです。

わたしは、もう少しで大声を上げて泣くところでした。赤ん坊をを連れて、やっと帰ってきた、上の子ともやっと一緒にいられる、わたしはそれなりに喜びとともに帰宅したのです。

わたしが立ち尽くしていると、夫は、その部屋中に巻き散らかしたモノを隅に全部押しやりました。これで、坐れるでしょ、と言って。

わたしはこの時、まだ専業主婦でしたので、家事の一切をやっていました。だけど、これはあんまりです。

持って帰ってきたものの洗濯をして、台所で赤ん坊の哺乳瓶などを準備して、とりあえず夕飯の心配もして、夜を迎える準備に取りかかる時刻なのです。それでなくても、今から、3時間おきに泣く赤ん坊の世話もあるのです。今から、これら一切の片づけをするなどと、とても出来ません。わたしにやらせるつもりで、何もやっていなかったというのでしょうか。なんでそんなことぐらい、わからないのでしょうか。

夫に、まったく悪気はなかったようでした。夫は、まったく考えていなかったようでした。自分はお利口に、1人でお留守番できたと思っていたのかもしれません。

それを知って、わたしは2度絶望しました。上の子の出産のときは、実家に戻りましたので、この状況に気づかなかったのです。

わたしは、夫のこういうところは先天的なもので、治らないのではないかと思いました。

もともと、片付けはまったく出来ない人間です。この先、ずっとこの絶望を、背負っていかなくてはならないのかと思いました。

その後しばらくして、市役所で離婚届けをもらいました。しかし結局、離婚届けは書かないまま、今に至ります。この後、乳飲み子を抱え、深く考える余裕はありませんでした。そして今、とても後悔しています。