三連休の中日。もう、何にも予定がないのは当たり前。かといって、家で静かにのんびりというわけでもないのが、辛いところです。夫と2人だと、どうしても心的に負荷がかかります。
以前にも書きましたが、これも、うちのこどもが小さかった時分の出来事です。
平日、家から少し距離のある、大きめの公園に行きました。当時は、お弁当を持って、子供と3人でよく公園で遊びました。お金がかからない遊びの最適解ですね。
その公園は、ちょうど木登りできる小さめの木が、たくさんあるのです。それを目当てにやってくる親子連れも多く、土日はおおいににぎわいます。子供は、木登り、好きですよね。平日なので、存分に楽しめるだろうともくろんでやってきたのです。
木登りとはいえ、玩具ではない天然の木なので、落ちては大変です。親は、下から見ていなければなりません。なんか偉そうなことを書いていますが、わたしもそこそこ適当な親だったので、(つきあいきれん)と芝生に腰をおろしてただ眺めていました。
すると、登ったはいいけれど、怖くて降りられない!という、お決まりのパターンが、あちらこちらで発生します。そんなに高くはないけれど、木によっては大人の頭よりもずっと高いのです。猿の親ではないので、こちらも現場まで登って、助けに行くことは出来ません。あちこちで阿鼻叫喚の図が広がりますが、そこはどこの親でも、我が子専門に担当です。
ところが、2本くらい先の木の上で、男の子がいつまでも泣いています。
ママはいないのかな?と目をやると、下に母親と思われる人が立っています。問題は、そのお母さんがなんのアクションも起こさないのです。しばらく見ていましたが、そばにお連れの方がいるようには見えません。お母さんは、1人で、上で泣いている我が子であろう男の子を見上げています。
これは、なんかの教育の一環なのかもな、と見て見ぬふりをしたのですが、そう割り切るには異様な感じがしました。だって、あまりにもおかしいです。こんなに泣き叫んでいるのに、声もかけず、手も差し伸べないとは。なにか理由があったとしてもです。
周囲に気づいていた人も、いたかもしれません。男の子は、もうこれ以上泣いたら引きつけてしまうような、異常な泣き方をしていました。そして、わたしももうこれ以上、見ていられませんでした。
親切でおせっかいなおばちゃんを演じるべく、そばを通りかかったふりをしました。「どうしたの~?降りられなくなっちゃったの~?」と声をかけると、男の子は、ギャン泣きしながらも、うなずきます。かろうじて、足までわたしの手が届いたので、片足ずつ少しづつ誘導です。こんどはこっちの枝、次はそっちの枝、と。こうやって、どこの親も自分の子供を下ろしてやるのです。途中から、抱きとって地面に下ろしてやりました。
彼の母親は、やはりかの人でした。ママーッと抱きついたのは、その人でした。ママは、うっすら微笑んでいました。良かったわねぇ、と言いました。わたしには礼の1つもありませんでした。
わたしは、さすがに混乱してしまいました。わたしが過剰反応だったのか?今で言う、ネグレクトみたいな言葉は当時知りませんでした。しかしあれは、絶対に意図的なものでした。我が子の危機を楽しんでいる・・確かにそういうものを感じたのです。