今回の骨折は、思いがけず子供の助けがあったこともあり、夫は手伝いといったことは何もしませんでした。
元々夫は、相手の気持ちが読むことができないです。
私が怪我をした、という話しと、手伝いが必要になる、という話しは、夫にとって別次元なのです。
近々では、子供が大学受験で失敗した時、週刊誌の学校別合格速報の特集記事を買ってきました。
そこには、子供の学校も載っていたわけですが、前期で落ちてしまったという事実がここにあるのに、なぜそんなものを買ってくる?。よりにもよって、親がなぜそんなことをするの?これじゃ嫌みみたいなもんじゃない?
まさか、励ましのつもり??子供は落ちてしまって、現状を悲しんでないわけないじゃない?
そして、後期受験に向けて嫌でも気持ちを切り替えて、ここから最後の踏ん張りに臨まなければならないのに、そんな記事を見せて何になるの?喜ぶと思ったの?どうしてそう思うの?
相手の気持ちが読めないんですよ。
相手の状況や感情を想像し、慰めや励ましの言葉をかける、必要な手を差し伸べる、といったことができないのです。
いつまでも、いつまで経っても、自分の気持ちファーストです。そのことも、発達障がいを疑った一因でもあります。
今回のことで、子供が家事全般を助けてくれましたので、いつもの生活リズム自体は崩れることはありませんでした。
夫はこの、リズムが崩れるということを嫌います。いつも同じ行動をしていることが、安心なのだと思います。ASDの人によく見られる、「常同性の固執」と言われるもののようです。
ASDの人に鉄道が好きな人が多いのは、その所以でもあるようです。いつも同じ線路を、いつも決まった時刻に通る電車。夫は、録画した番組を、繰り返し繰り返し何度も見ます。その行為と似ています。
骨折初日から子供が来てくれたので、何も生活に支障がなかったわけで、夫はいつもの自分のリズムを守って、暮らすことができました。
いつもとちょっと違うけど、まぁいいや、くらいに感じていたのかもしれません。
家事その他には、何も手出ししてこなかったし、口出しもしてきませんでした。
どこで怪我をしたのか、とか、どこの病院へ行っているのか、とか、どのくらいで治るのか、とか、一切聞いてきませんでした。その必要性も感じなかったのでしょう。
子供や孫、怪我をしたわたしがいても、夫は完全に蚊帳の外でした。