いよいよこれはパートやアルバイトではやっていけない、となった時、もっと稼ごうにも、それまでの仕事では何のスキルも身についていないことを実感しました。塾で働いたり、工場のパートをやったりしましたが、ほとんどの仕事がただの時間の切り売り、ただの業務作業。
夫は結局、失業手当をもらっている間もろくに仕事探しもせず、毎日パチンコ。でなけりゃ、家でテレビ。そんな期間が通算で2年間ほどもあったでしょうか。慌てて仕事探しを始めたころには、退職から時間が経っていることもあって、結局正社員には二度となれませんでした。
学校から帰ってきて、お父さんが家に毎日いることに、子供も不審に思ったのでしょう。なんでお仕事に行かないの、今日もお休みなの、とわたしに聞いてくるのです。
あの時の辛さは今でも忘れられません。一生忘れられません。それでも、わたしは、両親が子の前でいがみ合うのは良くないと信じていたので、夫をかばったりしていたのです。
【派遣社員へ鞍替えして知ったこと】
①まず単純に時給が高いというのがあります。新聞の折り込みチラシでたまたま見つけました。家から通えそうな距離だったので、好き嫌いを言っている余裕はありませんでした。
②派遣という言葉は知っていたものの、直接雇用との違いをこの時初めて知りました。雇用先と勤務先が違う、契約が切れても、次の仕事がすぐ決まるとは限らない。そんな当たり前のことすら知らなかったのです。勤務先では、名前ではなく「派遣さん」と呼ばれて、屈辱やら悲しいやら惨めやら。
③勤務時間も8時間になりました。これは、自分の都合、雇用先の都合で動く場合がありますが、あくまで、派遣会社とのやりとりになります。これまでの生活が一変し、身体的にも精神的にもどっと負荷がかかってきました。
でも、ここで当たり前のことをやっているだけでは、もう先がないと思いました。ただのオペレーション待ちの姿勢では、それこそ何のスキルも身につかないと身に染みていました。
当時はパソコンすらろくに触れず、ITリテラシーは小学生並みでした。私が独身時代にやっていたような仕事のスタイルは、とっくに終わっていたのです。
どうして間違えたか。間違いをしないようにするにはどうしたら良いのか。もし間違えたときはどうやってリカバリーしたのか。この業務とこの作業を一体化したら良いと思うのに、なぜやらないのか。やったらどんな支障が出るのか。色々な人に一つ一つ聞いて回りました。
PCもそれまで家にありませんでしたが、すぐに家に導入しました。子供は、あっという間にブラインドタッチを習得し、!や「」まで見ないでタイピングが出来るようになり、わたしはこんな世代と一緒に仕事するようになったら、何も仕事が回ってこないとおおいに焦ったものです。自腹でパソコン教室に行ったのも、このころです。
結果的に、何度かの契約更新の末、直接雇用という形でここでずっと働くことになりました。それから十数年、今に至ります。