1965年生まれの日記~離婚しようかやめとくか~

結婚して30年・・夫は発達障がいかもしれません

コンビニ工場の夜勤パート③

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勤務中に、自分と違った境遇の人の話を聞くのは面白かったです。仕事も、年がら年中忙しいわけでもありません。そういう時、「休めるなら休みたい」とお休みする方もいるのですが、反対に「休むと収入が減るから休みたくない」方もいます。実にさまざまな人が働きに来ていました。

【パートに来ていた色々な人】

・自営業の奥さん(家の収入が足りない)

・居酒屋の女将(髪型がいつも髷でした)

・大工の奥さん(家計の収入がが一定しない)

・ローン、その他借金のある人(旦那が仕事で失敗)

・自分の学費を4年分貯めてからもう一度受験するという方もいました(後に看護学校に入って看護師になりました)

・なるべく早くローンを返したい方(旦那の収入減)

・自分の貯金を作って離婚したい方(絶賛調停中でした。後にめでたく子供を引き取れて離婚)、お金を貯めて自分の店を持ちたい方(後に小料理屋を開店しました)

・当時のわたしのように小さい子がいて、昼間は働きにくい方も多かったです

・今のわたしのように子供の学費や仕送りのために、昼も夜も働いている方もいました

・年金では孫に十分なお小遣いを上げられないから来ているなんて方もいました

・自分の親が離婚して生活費を仕送りしている方

・旦那の親に生活費をせびられているという方

聞けば聞くほど、親しくなれば親しくなるほど、恐る恐る事情を伺っても、逆に「聞いてよ!」と言われるほどになり、それが嬉しくて面白くて仕事に通っていた側面もあります。

こんな風に書くと、不幸の羅列みたいに見えますが、そんな暗さはいっさいなかったように思います。話しが盛り上がってくると、朝っぱらからファミレスでお茶する先輩たちも多かったです。みんな、どういうバイタリティでしょうか。

特に、「結婚、私の場合」「離婚、私の場合」「出産、私の場合」なんて全員参加型の話題は、ずいぶん面白かったです(もちろん作業中に話すんですよ)。わたしも、結婚生活の先輩方からいろいろ教わりました。実の親から教わるより、よっぽどためになりました。

私は当時、半パな時間帯からの勤務でしたので、その日人手が足りないところに回される人間でした。自分で判断して動き回れる遊軍扱いしてもらえたので、最終的にどこが滞っているか自分で判断がつくようになり、どこのコンベアーに入っても感謝してもらえ、居心地はけっこう良かったです。

夫が普通のサラリーマンを続けていたならば、わたしは今でもここで働いていたと思います。他の職場に転職して、新しい仕事を1から覚えるのは面倒だし大変だし、最後のほうは塾の仕事の併用していたので、そこそこ稼げていたからです。

でも、夫の会社が倒産し、失業手当の給付が終わり、まともな転職が出来ないとなった時、もうここではやっていけなかったのです