以前にも書きましたが、これも、うちのこどもが小さかった時分の出来事です。
当時は、お弁当を持って、子供と3人でよく公園で遊びに行きました。お金がかからない遊びの最適解ですね。
その公園は、ちょうど木登りできる小さめの木が、たくさんあるのです。
それを目当てにやってくる親子連れも多く、土日はおおいににぎわいます。子供は、木登り、好きですよね。
木登りとはいえ、玩具ではない天然の木なので、落ちては大変です。親は、下から見ていなければなりません。
わたしも、そこそこ適当な親だったので、(つきあいきれん)と芝生に腰をおろして、ただ眺めていました。
すると、登ったはいいけれど、怖くて降りられない!という、お決まりのパターンが、あちらこちらで発生します。
そんなに高くはないけれど、木によっては大人の頭よりもずっと高いのです。猿の親ではないので、こちらも現場まで登って、助けに行くことは出来ません。
あちこちで阿鼻叫喚の図が広がりますが、まぁそこは皆、我が子専門に担当です。
ところが、2本くらい先の木の上で、男の子がいつまでも泣いています。
ママはいないのかな?と目をやると、下に母親と思われる人が立っています。
問題は、そのお母さんが、なんのアクションも起こさないのです。
お母さんは1人で、上で泣いている我が子であろう男の子を、ただ見上げています。
これは、なんかの教育の一環なのかもな、と見て見ぬふりをしたのですが、そう割り切るには異様な感じがしました。だって、あまりにもおかしいのです。こんなに泣き叫んでいるのに、声もかけず、手も差し伸べないとは。なにか理由があったとしてもです。
周囲に気づいていた人も、いたかもしれません。
男の子は、もうこれ以上泣いたら、引きつけてしまうような、異常な泣き方をしていました。そして、わたしももうこれ以上、見ていられませんでした。
親切なおばちゃんを演じるべく、そばを通りかかったふりをしました。
「どうしたの~?降りられなくなっちゃったの~?」と声をかけると、男の子は、ギャン泣きしながらも、うなずきます。
かろうじて、足までわたしの手が届いたので、片足ずつ少しづつ誘導です。こんどはこっちの枝、次はそっちの枝、と。こうやって、どこの親も自分の子供を下ろしてやるのです。途中から、抱きとって地面に下ろしてやりました。
彼の母親は、やはりかの人でした。
ママーっと抱きついたのは、その人でした。ママは、良かったわねぇ、と言いました。わたしには礼の1つもありませんでした。
わたしは、混乱してしまいました。わたしが、過剰反応だったのかしら?
でも、今で言う、ネグレクトみたいな言葉は当時知りませんでしたが、その時、確かにそういうものを感じたのです・・。