先週の足の捻挫で、整形外科の病院に、昨日もう1度行きました。
痛みはもうほとんどなかったけど、歩くとき、なんかポキポキ違和感があったのです。湿布の塗り薬?みたいなのも、もう少し欲しかったので。
今回、軽かったとはいえ怪我をして、自分自身が不自由になると、こういう生活になるのだと実感しました。要は、夫がいても、何の役にも立たないということを再認識したわけです。
確かに、独り暮らしでは、もっと大変だと思います。だからいないよりはマシ、とわかってはいますが、こんなにいらいらさせられるのでは、何も頼みたくなくなります。
もうこれからは、絶対に怪我だけは気をつけよう、と強く思いました。
待合室のソファーに座ったら、ほんわか暖かく、虚無状態で何もない空間とお話していたら・・・。
若い男性が、声をかけてきました。
「あの、〇〇君のお母さんですか?」と。
え、あなた誰ですか、みたいに、思いっきりにらんでしまったわたしです。
最近は、お店の店員さんくらいしか、知らない人と話すことがありません。瞬間、身構えてしまいました。こういう時すぐ、何かの詐欺かも、と思ってしまいます。
その男性は、名前を名乗って、下の子の小学生の時の同級生だと言いました。そういえば、そんな名前の子もいたような・・・。
よくよく聞けば、東日本大震災の折、学校が1か月も休講になったとき、よくうちにゲームをしに来ていた子です。ああ!と、思い出しました。
下の子は、小学校卒業後、地区外にある公立の中高一貫校に進学しました。同じ小学校の出身者は1人もおらず、地元の友達関係は、そこで切れてしまったのです。
でも彼は、時々思い出したように遊びに誘ってくれました。下の子も、彼の家に、何度か遊びに行っていたように記憶しています。
それにしても、よくもまぁ、わたしのことなど覚えていたものです。
待合室で、名前を呼ばれたから、もしかしてと思って見たら、〇〇君のお母さんだった、と彼は言いました。
ほんの数分でしたが、お互い近況などを話して、別れました。
男子三日見ざれば刮目すべし、と言いますが、ホントそれです。近くで会話しても、もう昔の面影はありません。何度も、見上げてしまいました。
当時、彼はまだ体形がちいちゃくて、小学生のような風采から卒業できてなかったのです。それが、どうですか。今や、大男ですよ。下の子より、ずっと身長もあります。
でも、こんな風に話しかけてくれて、何だかとても嬉しかったです。ありがとう、と思わず言ってしまいました。
あの当時のわたしは、仕事に夫に振り回されて、子供の交友関係にまで関心が行き届きませんでした。
毎日同じことばかりの繰り返し、学校の雑事も大変、早く育児が終わってくれればと、ひたすら思っていたものでした。
ああそうか、うちの子だけじゃなく、皆大人になったんだなぁと、妙に感慨深いものを感じました。